はこだて開港ペリーロード

■はこだて開港ペリーロード

マシュー・カルブレイズ・ペリー安政元年(1854)幕府はアメリカとの間に和親条約を終結し下田と箱館を開港(箱館に於ける小開港)することになった。
条約上、箱館の開港は翌年3月であったが、4月15日ペリー艦隊の船3艘が箱館に来航し港内の測量を始めた。更に同月21日には2艘(ポーハタン号、ミシシッピー号)が入港した。ポーハタン号に乗船していたのがペルリ(ペルリとはオランダ発音)こと東インド艦隊司令長官マシュー・カルブレイズ・ペリーである。その時の様子は「亜墨利加一条写」に記されており士官たちが箱館に上陸後散策したルートがペリーロードの由来である。
一行は上陸地である沖之口番所の浜辺で開かれた特設市場で競って箱館土産を購入したという。また、外国人墓地はペリー艦隊の水兵2名が滞在中に死亡し埋葬されたのが始まりである。安政五年6月には、修好通商条約が終結され箱館と新潟、横浜、神戸、長崎を貿易港として開港することになった。箱館の開港は翌年6月2日(新暦7月1日、箱館に於ける大開港)で、この日が後に開港記念日とされた。
※絵図及びスケッチ画、肖像写真は函館中央図書館蔵 協力:はこだて外国人居留地研究会

 

ペリーロード散策コース

ペリーロード散策コース
・・・ 沖之口番所 ペリー上陸地。現在の函館市臨海研究所、旧西警察署
・・・ 応接所に使われた山田屋寿兵衛宅 現在のペリー会見所跡
・・・ 内潤の町 現在の末広町近辺
・・・ 内潤の浜田屋兵四郎宅に入り込みタバコを吸う
・・・ 大三坂 坂の下に大三という宿があった事に由来
・・・ 大工町 (8)のロシア領事館があった辺りは上大工町
・・・ 八幡社 八幡坂の由来、現在の函館八幡宮
・・・ 御役所坂を上る 箱館奉行所があったため御役所坂と言われていた現在の基坂
・・・ 寺町 寺が建ち並んでいたためそう呼ばれていた
・・・ 山の上の遊女屋街 遊郭はその後現在の宝来町を経て現在の松風町方面へ移った
・・・ 山背泊の御台場 魚見坂中腹の海側にあったが便宜上外国人墓地とした


函館歴史散歩はいかが?

(1) 運上所1859年の貿易港としての開港により最初はペリーとの会見が行われた山田寿兵衛宅に置かれた税関
(2) 沖之口番所当時の海からの玄関口
(3) 高龍寺実行寺と共に1858年ロシア領事一行の仮止宿所になった
(4) 八幡社現在の函館八幡宮
(5) 南部陣屋北方防備のため幕府の命令により箱館に派遣された南部藩の詰所(南部坂の由来)
(6) アメリカ人の建物
(7) ロシア病院函館の住民に人気があった
(8) ロシア領事館
(9) イギリス領事館
(10) 箱館奉行所後に五稜郭へ移る
(11) 浄玄寺1857年アメリカ貿易事務官ライスの仮止宿所(現在の東本願寺函館別院)
(12) 称名寺1859年イギリス領事館として貸与(イギリス領事はフランス領事も兼ねた)
(13) 実行寺1854年ペリー来航時写真班の止宿所
(14) 弁天崎御台場北方防備のために造られた砲台

■ペリーの日本遠征記に記されている箱館の口絵

箱館の口絵

■函館の各国領事・領事館

アメリカ ・・・ 1857~1882、1904~1919
ロシア ・・・ 1858~1904、1906~1938、1939~1944
イギリス ・・・ 1859~1934
フランス ・・・ 1859~1874
ポルトガル ・・・ 1861~1888
オランダ ・・・ 1863~1875
スイス ・・・ 1865~1875
ドイツ ・・・ 1865~1876
デンマーク ・・・ 1867~1889
オーストリア ・・・ 1869~1911
イタリア ・・・ 1869~1875
ノルウェー
スウェーデン
・・・ 1871~1921
中国 ・・・ 1886~1938

アメリカ・・・1882年(明治15年)9月、函館在留のデビソン領事が任期を終え帰国、アメリカ人宣教師が事務を取り扱った。1904年(明治37年)キング代弁領事が就任し事務を開始した。1919(大正8年)7月キング氏の死去により閉鎖。
ロシア・・・1904年2月日露戦争により日本国内の領事が引き揚げる。1906年5月領事が着任し現在の旧ロシア領事館の地で領事館を開いた。1944年(昭和19年)10月ソ連領事館閉鎖。
資料/市立函館博物館所蔵各国領事領事館・函館市史年表
 

■はこだて一番物語

●コーヒー飲みはじめ
安政四年(1857)病気予防などの目的で箱館奉行から配られたのが北海道で最初の出来事。
●西洋帆船建造
船大工の続豊治が函館に入港する外国船をもとに設計し安政四年に完成した箱館丸が日本人だけで初めて造られた西洋帆船で、日本初の実習船。
●西洋料理店
外国人向けに安政六年に開業した料理店が日本最古のレストラン。
●赤十字活動
明治元年(1868)の箱館戦争で負傷兵を分け隔てなく治療した箱館病院長、高松凌雲こそ日本で最初に赤十字精神を実践した人。
●気象観測所
函館出張開拓支庁は明治五年7月開拓使の福士成豊(父は続豊治)の自宅に観測所設置を認め1日3回の観測を始めた。これが国の機関として日本で最初の観測所。
●海水浴場
明治十二年に現在の水産物卸売市場付近で皮膚病などの治療目的で日本で最初の海水浴場が設置された。
●上水道
明治二十二年、日本人設計監督による日本で最初の上水道が造られた。(函館公園には、その記念に寄贈された噴水のレプリカがある)日本で最初の上水道は2年前に造られた横浜。
●世界初!?有料自動車道
大正七年(1918)湯の川から宇賀浦町の間の道を整備し湯の川温泉への乗合いバス事業を始めた会社があったが、他の車が利用する際は料金を徴収していたそうだ。

はこだて開港 ペリーロードを歩いてみました

■こちらから「はこだて幕末・開港マップ」印刷用パンフレットをダウンロードできます

印刷用パンフレットはPDF形式(A4サイズ・4ページ・5.26MB)になっています。
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「はこだて開港ペリーロード」を歩いてみました~♪


【A】ペリーの上陸地
よしっスタート!
現在の臨海研究所。当時は
沖之口番所といい税関的な所。
箱館丸~出発 徒歩2分で
豊治が造った本人初の洋式帆船
ペリー来航時に単身 船に近づき
真似て造ったそうです~凄い!!

ペリーの会見場所
山田屋寿兵衛宅跡

会見場所の姿見坂
(左下)150年前の口絵


途中あった古い建物
パチリ・・・(*^_^*)

現在の基坂
旧英国領事館

函館ラーメン 西園
塩ラーメンがうまい 500円

郷土資料館の金森洋物店
明治13年築 入場料100円

木製工芸店
手造りの木製地図
八幡坂
当時は坂の中間に八幡宮があったそうです。
大三坂
入口のお洒落な洋館
二十間坂
入り口にお洒落なピンクの建物


旧レイモン邸のハム・ソーセージ
カール・レイモン元町店

喫茶 やまじょう
名物マスターがおります。
カトリック元町教会フランス宣教師
メルメ・デカッションが1859年に建てたのが始まりだそうです。
【E】函館ハリストス教会
当時ロシア領事館付聖堂として1859年に建立。

遺愛幼稚園
明治28年創立。歴史あるかわいい幼稚園です。
八幡坂
当時、中間あたりに函館八幡宮があった事から坂の名称が付けられました。CMでもおなじみです!
船魂神社
八幡坂を過ぎると船魂神社があります。1135年に良人という高僧がこの地に来て観音堂を立てたのが始まりとされています。
通称 ソフトクリーム通り
甘味処・そば・ガラス細工などが連なっておりま~す(^^♪

基坂
当時、函館奉行があったため御役所坂と言われた現在の基坂。一番上が公会堂。中間に旧英国領事館があります。
基坂中腹
ペリー広場と言われペリー銅像が函館湾をみております。
旧イギリス領事館
大正2年築。現在は資料館・カフェ・雑貨店。
中華会館
明治43年築。この周辺は当時、浄玄寺・称名寺・実行寺等お寺があり寺町と言われた。

弥生小学校
1938年(昭和13年)完成。石川啄木が教鞭をとっていた。卒業生に亀井勝一郎など。
旧桂久蔵邸蔵
明治42年築100年。(現在、函館元町ホテル・茶房 蔵で喫茶)
弥生坂上の咬野菜園跡
当時は名花・名木が函館一の名園。

現在の幸坂歩道
勾配がきつい!!
当時は山の上遊女屋街で賑わっていた。

古い建物
幸坂の中腹を横道にそれると古い和洋折衷の建物が・・・。

ロシア領事館
明治43年築。竹内結子主演「星に願いを」のロケにも・・・。
【J】称名寺
現在の建物は昭和4年築。境内には土方歳三・新撰組の供養碑と山門前から見た函館どつく造船所
大正湯
称名寺前の坂を下った先にあるのは、創業が大正3年という銭湯、大正湯。宮崎あおい主演の映画のロケにも・・・。

高龍寺
もうちょいでGOAL・・・高龍寺の山門と境内の水汲み場の龍。
カフェ
外国人墓地にある2つのロケーションが素晴らしい素敵なカフェ
(左は「カフェテリア・モーリエ」右上「カフェ 夕日」)
有無両縁塔
外国人墓地に隣接している。1864年に当時の遊郭の経営者達が無縁仏になった遊女を供養するために建立。悲しい遊女達の物語がたくさんありそうです。
 

外国人墓地 GOAL
はこだて開港 ペリーロードを歩いてみました